さだまさしのプロフィール
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さだ まさし
本名・佐田雅志
1952年4月10日生まれ
長崎県長崎市生れ
日本を代表するフォークシンガーの一人
シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ、小説家、映画監督
國學院大学中退後、肝炎を患ったことをきっかけに長崎に帰郷。
1972年、高校時代からの友人吉田政美とバンド「グレープ」を結成
1974年、「精霊流し」を発表。この年の日本レコード大賞作詞賞受賞。
1976年4月、グレープを解散。同年10月よりソロ活動を始め、1977年にシングル「雨やどり」がヒット。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎市で佐田家の長男として生まれる。佐田家は元々島根県三隅町(現浜田市)の大地主の家系である。その次男坊だった祖父・繁治は中国大陸で諜報活動に従事したのち商工省の大臣秘書官を務めた経歴の持ち主であり、その繁治と結婚した祖母もまたウラジオストックで料亭を営んでいたという当時の日本人女性としては異色の存在である。父・雅人は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子と結婚し、雅志・繁理・玲子の三人の子をもうけている。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、自宅は庭に小山があるような豪邸だったという。
3歳よりヴァイオリンを習い始め、毎日学生音楽コンクール西部地区大会で入賞するなどの上達ぶりを見せる。一方、父は事業に失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる。
小学校卒業後、ヴァイオリン修行のため単身上京。以後、葛飾区や千葉県市川市で一人暮らしを続けることになる。中学生時代に加山雄三やサイモン&ガーファンクルに影響され、ギターを奏でながら歌を作るようになる。その一方東京藝術大学付属高校(実際は東京都立芸術高等学校の前身となる東京都立駒場高等学校芸術科に志望校を変更)の受験に失敗し、以来ヴァイオリンへの熱意を失う。
# 國學院大学中退後、数々のアルバイトをしながらの生活を送るも、やがて肝炎を患ったことをきっかけに長崎に帰郷。1972年、高校時代からの友人吉田政美とバンド「グレープ」を結成し、音楽活動を開始。やがて音楽プロデューサー川又明博によってスカウトされ、1973年には「雪の朝」でワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より全国デビューした。
# 1974年、「精霊流し」を発表。まだ無名のフォークデュオであったためか、当初の売り上げはかんばしくないものだった。しかし、名古屋の東海ラジオ深夜番組「ミッドナイト東海」のなかで、蟹江篤子アナが担当曜日で毎週のように流し続け、これがきっかけとなって放送エリアの名古屋地区のみならず、全国的なヒットとなった。この年の日本レコード大賞作詞賞受賞。
# 1976年4月、グレープを解散。同年10月よりソロ活動を始め、1977年にシングル「雨やどり」がヒット。
長崎県民栄誉賞授賞。長崎市栄誉市民。長崎ブリックホール名誉館長および諏訪市原田泰治美術館名誉館長。かぼす大使。平城遷都1300年記念事業協会評議員。國學院高等学校卒業、國學院大學法学部中退。
2006年10月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手であり、その回数は約3400回に達している。
ファンとスタッフの間では「まっさん」という愛称が使われている。画家原田泰治との交友から、長野県諏訪市に居を構えているが、近年は、子供の教育の都合上、諏訪にいないことが多い。
弟分としてチキンガーリックステーキが居る。また、まさしの実弟は日本人初のプロサッカー選手でさだ企画社長の佐田繁理、妹は歌手の佐田玲子。
中島みゆきと並んで「暗い」という評価を受けがちな彼の作品だが、それは詞に込められているメッセージが深いということの証左である(中島みゆきも同様)。人の生と死、愛情の強さ・儚さ、人の心の弱さ・強さ、社会への警告、平和と命について(『防人の詩』、『前夜』、『遥かなるクリスマス』、『広島の空』)など、彼の放つメッセージは人の心の機微にダイレクトに触れるものである。従って人によって好き嫌いがはっきりと分かれるものであり、聞く者の心を試す詞が多いのが彼の作品の特徴である。『飛梅』、『まほろば』、『修二会』などのように日本の古典的、民族的なモチーフを用いた作品が多いのも特徴で、この点は他のシンガーソングライターにはあまり見られないものである。
さだは長崎出身で親族に原爆被災者がいることもあって、戦争を嫌い平和を求める気持ちが強い。また、祖父母が大陸に渡って活躍していたことから、中国大陸への憧れが強く、周辺諸国との友好を願う気持ちも強い(息子に「大陸」と名づけている位である)。その一方で、日本の将来を憂い、失われていく日本の伝統的な文化・道徳を大事にしようとする傾向がある。このため、平和祈念コンサートを行いながら、他方ではプロ野球の開幕戦やサッカーの国際試合で「君が代」を歌ったり、あるいは靖国神社への参拝を行う(自著に記載)など、一般的な日本の「右翼」「左翼」の観念には当てはまらない言動を行うので、双方からの批判を受けることも多い。が、それに動じることなく、紅白歌合戦でも敢えて平和を問う曲目を取り上げ、人々にメッセージを放ち続けている。また、そういったメッセージ色が強い一方で、前述したように特定の思想・イデオロギー・宗教等に偏りを見せないことが、広く支持される所以の一つであろうと思われる。
シリアスな曲が多い一方で、『恋愛症候群』、『雨やどり』、『関白失脚』(『関白宣言』のアンサーソング)のように半ばコミックソング的な要素のある曲も多く、これらの曲は客の笑い声が入ったライヴ録音でシングルとなっている。さらに、世間のイメージとは裏腹にロック調の楽曲やラップに挑戦した『がんばらんば』など、幅広い作風の楽曲を生んでいる。
メロディーの面では、西洋のポピュラー音楽やクラシック音楽の技法を駆使した作品が多い。彼は前述のように元々ヤッシャ・ハイフェッツに憧れるヴァイオリン少年(今でも、自分のコンサートでヴァイオリンを弾くことが多い)であり、またポピュラー音楽に目覚めたのも加山雄三やサイモン&ガーファンクルの影響であるなど、ビートルズやボブ・ディランに影響された人が多い同世代の日本の他のシンガーソングライターとは違う、彼の大きな特徴である。さだの場合、歌詞にばかり関心が行きがちだが、生み出されるメロディの素晴らしさも、歌詞の無い『北の国から』が北海道を象徴する楽曲のように使われていることなどを見れば一目瞭然であろう(ちなみに彼の曲のほとんどは、メロディが先に作られたものらしい)。